はじめに
MGのEX120です。1920年代にはこのようなスピード記録車やレーシングカーが盛り上がりを見せており、ある程度の台数がまとめて展示されてある博物館もあります。しかし、私がこれまで足を運んだ自動車博物館で、EX120が展示されてあったのは那須クラシックカー博物館だけでした。博物館に入って一番奥の一段高いところで展示されてあります。
EX120について
このEX120はそもそもはMタイプミゼットをベースにしたレーシングカーとして開発されていました。しかし、その開発中のシャシーを見たレーシングドライバーのジョージ・アイストンとアーネスト・エルドリッジは、むしろこれは速度記録車のほうに向いていると考え、速度記録を狙うEX120として日の目を見ることになります。
EX120が製造された1930年には早速オースチンセブンを破って記録を残したものの、100マイルにも及ばない記録でした。そこで、アイストンは翌1931年に自前のスーパーチャージャーを搭載して時速103.13マイルを記録し、750ccとしては世界初の100マイルカーとなります。アイストンはレーシングドライバーであると同時にエンジニアとしても活躍しており、特にスーパーチャージャーでは数々の特許も取得しているほどでした。
そして、アイストンは時速100マイルを超えただけでは満足できず、「よし次は100マイルのまま1時間巡行し続けよう」と記録を狙いにいった結果、100マイルを超えた状態でエンジンが火を吹き、おおよそ60マイル、つまり時速100kmくらいまでしか速度が落ちてない状態で車から飛び降りて脱出する羽目になります。当然そのEX120は燃えてしまいましたが、それでもめげないアイストンはその後も数々の速度記録を樹立しているので、相当に熱い人だったのでしょう。
EX120は「時速120マイル(時速192キロ)を超える」という意味が込められているはずですが、実際に時速120マイルを超えたのは次期モデルのEX127でした。その後のEX135も加え、速度記録を狙った750ccのMGは”Magic Midget(マジックミゼット)”と呼ばれ、そのほとんどでアイストンがハンドルを握っています。
1930年代に排気量が1,000ccにも満たない車だと、スポーツカーであっても時速100マイルどころから時速100キロを出すのも精一杯という時代です。マジックミゼットはさぞかし輝いていたことでしょう。そしてそのマジックミゼットの初代であるEX120は、スピード記録に熱狂していた英国での一番星だったに違いありません。
EX120の中古車をお探しの方へ
レプリカであればイギリスで35,000ポンドほどで売られていますので、年代と生い立ちを考えれば意外と入手しやすい部類に入るのではないでしょうか。那須クラシックカー博物館に展示されてあるのはレプリカではなく当時のスピード記録保持車そのものとなります。