はじめに
河口湖自動車博物館に入り、順路に従ってまず右側の建物に進むと、このベンツ・パテントモトールヴァーゲンが待ち受けています。
私が2012年に初めて河口湖自動車博物館に足を運んだときと2016年とで比較しても、まったくと言って良いほど同じ場所にあります。ひょっとして1mmも動かしていないのかもしれません。
また、河口湖自動車博物館では他の博物館と違って、パテントモトールヴァーゲンを上方向から眺めることができます。なかなかないアングルですので、一度くらいは上から見ておいても損はないことでしょう。
ベンツ夫人による武勇伝
このパテントモトールヴァーゲンは歴史に名を残す名車ですが、名車にふさわしいストーリーもあります。
ベンツの妻であるベルタ夫人は、ベンツがまだ眠っていることを確認した上で、二人の子供を連れてこのパテントモトールヴァーゲンで旅行に出かけました。出発地はマンハイムで、目的地はベルタ夫人の実家があるフォルツハイム(プフォルツハイム)でした。直線距離で65km離れており、往復では130kmとなりますが、実際には山を迂回したために総行程は194kmに及びます。駆り出したのは、モトールヴァーゲンの三号車でした。
当時はまだ道路が舗装されておらず、馬車によって深い轍が刻まれています。パテントモトールヴァーゲンは三輪車ゆえに、前輪である一輪は馬車が残した轍間の山を避けられません。さらにエンジンは非力だったため、上り坂でモトールヴァーゲンを後ろから手で押して歩くことになります。
当然まだガソリンスタンドもない時代ですから、小さな瓶に入れられてベンジンとして売られていたガソリンを薬局で購入して給油します。ブレーキが摩耗すれば靴屋さんに寄ってブレーキシューの革を張り替えさせ、日が暮れても前方を照らすライトやランプなど備えてないので、真っ暗闇の中を手探りで進み、フォルツハイムへ到着しました。
現在では当たり前のインフラが何も整備されていない時代にこの大旅行ですから、フォルツハイムに到着したときには三人とも疲れ果てており、実家を訪ねる元気などなく、イスプリンゲン街にあった郵便馬車の常宿で一晩を過ごしてしまいました。本当に疲れ切っていたのでしょう。
ただ、翌日からはこの「偉業」が大ニュースとなり、すぐにベンツ本人の知るところとなりました。しかも驚くべきことに、三人はフォルツハイムの実家で骨を休めたあと、またこのパテントモトールヴァーゲンに乗ってマンハイムを目指し、無事に帰ってきます。根性あります。
そして、この試乗体験はベンツ本人にフィードバックされました。上り坂で車を押すのがよっぽどこたえたのか、三人は口を揃えて上り坂のパワー不足を訴え、次モデルのベンツ・ヴィクトリアでは坂道用としてローギアが取り付けられることになります。
これほどの大旅行(というか冒険)が、家族によって、しかも内緒で敢行されたことは、車両そのものに添えられる大きな花となったことでしょう。名車を一層輝かせたエピソードに違いありません。
パテントモトールヴァーゲンの中古車
現存するオリジナルの固体が中古車市場に出ることはほとんどないと思われますが、レプリカだったらたとえばアメリカで7万ドルほどで売り出されています。日本の一般的な中古車サイトでは見かけたことはないですが、それでもジーライオンミュージアムなどに依頼すれば何か糸口はつかめるのではないでしょうか(勝手な私見です)。