はじめに
ジーライオンミュージアムに足を踏み入れてまず出迎えてくれるのが、このダットサン17型セダンです。私はダットサン17型を他の博物館でも見てきましたが、入ってすぐの位置で展示されてドアまで開けてくれていたのは、ジーライオンミュージアムだけでした。ドアが開けられている理由については、ドアの開く方向が現代とは違うことを伝えるためではおそらくなく、来館される方々に内装を見てもらいたいということなのでしょう。
時代の息吹が感じられる17型
1937年に日中戦争が始まり、翌1938年には物資統制などを定めた国家総動員法が制定されました。綿糸すら配給制になったことで、17型の内装は簡素な造りにせざるを得ませんでした。1939年1月にはすべての民需用乗用車が生産禁止となっていますので、非常に厳しい制約下で生産されていた1台と言えます。
エンジンはサイドバルブの直列4気筒722ccで、最高出力は16馬力です。16馬力と聞くと現在の基準ではとても非力に思えるかもしれませんが、車重はわずか630kgしかありませんし、少なくとも東京では1923年の関東大震災後に一気に道路の舗装が進んでいましたので、力不足ということはなかったことでしょう。
謎めいた年式
展示車両の年式は1937年で、日産公式にはダットサン17型セダンは1938年3月11にデビュー(16型からの改定)となっているので疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この17型セダンは1937年式とのことです。
ジーライオンミュージアムに確認すると、1937年式として書類もすべてそろっており、登録の識別情報通知書、車検証の元データでも1937年で認可されている車両とのことでした。
一方で、日産のヘリテージコレクションに確認すると、1938年より前の生産は考えられないとのことでした。
なぜこのように齟齬が生じているのかはわかりませんが、戦時中という非常時であったことが関係しているのかもしれません。
このような年式相違からでも、時代の息吹が感じられてしまいます。面白いものです。
ダットサンの中古車をお探しの方へ
ダットサン時代の中古車はグーネットやカーセンサーで何台も確認できますが、戦前のこの17型となると、なかなかお目にかかれません。
しかし、この17型も含めてジーライオンミュージアムは所蔵車両と販売車量の垣根がよくわからないほど、博物館級の車両を大量にグーネットやカーセンサーで売り出しているので、17型をお探しの方は直接ジーライオンミュージアムに問い合わせてみても良いかもしれません。