はじめに
ベルリエの1922年式V-G22型です。日本自動車博物館のエントランスゲートをくぐるとすぐ出迎えてくれる大型車群の1台であり、おぎやはぎの愛車遍歴で前田智嗣館長自らが紹介してくれた1台でもあります。
私がこれまで足を運んだ自動車博物館で、ベルリエというメーカーの車が展示されてあったのは日本自動車博物館だけでしたが、愛車遍歴の中で館長が日本におそらく1台しか存在しないとおっしゃっていたので、他で見かけなかったのも当然でした。
ベルリエという車の謎
そして、このベルリエについては謎が1つありまして、実は正式なモデル名がわかりません。
日本自動車博物館ではV-G22型として展示されています。私が初めて足を運んだ2012年から変わっていません。しかし、2011年から2012年にかけてトヨタ博物館の企画展「大正自動車ものがたり」に貸し出された際には、V-G22型ではなくVE型となっていました。また、2010年の日本橋架橋99周年に貸し出された際には、22CVとなっていました。同じく、トヨタのメガウェブに2015年6月に貸し出された際にも22CVとなっています。2015年10月に私が日本自動車博物館に行った際にはいつも通りのV-G22型でした。
この点を日本自動車博物館にうかがってみると、正式な型名はちょっとわからないとのことでした。そこで、トヨタ博物館に問い合わせてみると、当時の企画展の担当者がもう退職しているのでなぜVE型として展示したのかはわからないとのことでした。ただ、トヨタ博物館の学芸員の方がいろいろと調べてくださり、メガウェブでの22CVという名称が課税馬力だろうかと調べると22HPという名称もあったそうで、もはや課税馬力なのか正式な馬力なのかもわからないとのことでした。
さらに、学芸員の方がEncyclopedia of the Automobileという分厚い百科事典で調べても、そもそもベルリエはトラックやバス、戦車の会社だったので、乗用車に関する記述が非常に薄く、あげく、VDやVF、VLはあるけど肝心のV-GもVEも記述がないということで、うかがっているだけでもこれ以上の深入りは控えておこうかなと思えるほど謎になっています。
自動車歴史考証家の佐々木烈さんが著した「日本自動車史 写真・資料集」の160ページと161ページにまさにこのV-G22型かVE型か22CVらしきベルリエの写真付き広告もあるのですが、残念ながら正式な型名までは記載されていません。この広告でわかるのは、画像の下で説明のある山口勝蔵商店がベルリエの日本総代理店であったこと、そして、ベルリエは当時「ベリエ」と呼ばれていたことくらいです。
ちなみに、おぎやはぎの愛車遍歴で山田五郎さんが注目していた泥除けには、「川添式自働車泥除器 米國特許 實用新案登録 第八二二五一號 考案製造者 川添敏 電話小石川 三八一三番 東京市小石川区表町六十五番地」と記載されており、4輪全てに泥除けが装備されていました。
博物館による車両説明
日本自動車博物館による車両説明は次の通りとなっています。
『大正時代に輸入されたフランス製のお洒落なデザインのツーリングカー。ベルリエ社は、1895年にマリウス・ベルリエによって創立され、高級乗用車の製造を行い、後には軍用車・トラックなども手がけ1967年にシトロエン社に吸収されました。この車は個人の輸入業者、山口勝蔵商店の手によって日本へ入ったものです。ヨーロッパの高級車を数多く輸入したことから山勝の呼名で知られるようになりました。V-G22型は、オープン・スポーツ・トゥアラーで、宮家のレジャー用に供されたものです。1944年(昭和19年)に浜 徳太郎氏が宮家より入手され今日に至り、1996年12月に日本自動車博物館に展示されました』
ベルリエ(ベリエ)の中古車をお探しの方へ
日本で流通することなどまずないでしょうから、海外の中古車を探す他ないと思われます。海外でもトラックがほとんどとなっていますが、2017年4月時点では、乗用車のベルリエも2台売り出されていました。残念ながら値段は伏せられていますが、玉がないことはないという状況のようです。
自動車の泥除け器について
ちなみに、おぎやはぎの愛車遍歴でも言及されていた上述の泥除け器ですが、正式には「自動車飛沫防止器」と呼ばれており、川添式以外では「シミズ式」「炭富式」「荒谷式」「OY式」「T.F.式」「川口式」などが確認されています。ただ、タイヤ下部を覆って泥ハネを防ぐという基本構造は共通していました。
これらの泥除け器は大正時代の営業用車両には標準装備だったようで、かのオートモ号をはじめ、東京遊覧自動車や東京溜池イリス商会のドイツ製ハノーマグ、東京市電気局の市営バスや東京乗合自動車への装着が資料画像から確認されます(日本自動車史写真・資料集より)。