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2016
2
Oct
【デューセンバーグ・モデルJを見に行こう!】

はじめに

 デューセンバーグの1929年式モデルJです。私がこれまで足を運んだ自動車博物館の中で、デューセンバーグが展示されていたのはトヨタ博物館だけです。

 そして、このモデルJはデューセンバーグの代名詞とも言える1台で、1920年代にして265馬力という高出力を誇りました。電子制御で固めた現在の車と違い、横滑り装置などない時代です。そんな時代にライバル車の倍のパワーで登場したこの車はさぞかし衝撃的だったことでしょう。

 1920年代の車両が展示されてあるとつい、この265馬力を上回る車両があるかを探してしまいます。

シャシーのみの販売

 このモデルJはシャシーのみで売り出され、当時の販売価格は8500ドルでした。広告で使われたキャッチコピーは”The World’s Finest Motor Car(世界最良の車)”となっており、パワーがあるからそれに比例してシャシーも屈強、それゆえに安全であり耐久性も抜群でその他あらゆる点で他車より優れている、と謳っています。

 また、架装されるボディも名声を求める人々にふさわしいものとなっており、私がこれまで見てきたこの年代の車で、たとえばフロントバンパーに2本のブレードが備わり、流れるような優雅な意匠が凝らされている車は、このデューセンバーグ以外にとっさに思い出せません。

 ちなみに、エンブレムの鷲はアメリカの自由を象徴しており、ボンネットマスコットは翼の飛翔となっています。

博物館による車両説明

 トヨタによるデューセンバーグ・モデルJの説明は次の通りです。

 『モデルJは、アメリカ最高の多くのコーチビルダーがボディを架装。この時代の豪華サルーンに一歩もひけをとらないし、性能においてもはるかに抜きん出ていた。レーシングカーなみのそのパワーは、腕に自信のないドライバーではおさえつけることができないほどの強靱なパワーで人々を圧倒したのである。2カウルの独特のボディはル・バロン製フェートンで、数あるバリエーションのなかでも有名なモデルである』(トヨタ博物館)

 『アメリカの自動車史において別格の人気を誇るのがデューセンバーグです。当時の水準をはるかに上回るエンジン性能と、アメリカ最高の車体メーカーによる美しいボディの組み合わせの超高性能豪華者で値段も飛びぬけて高いクルマでした。それはとくにアメリカンドリームを実現した人々をとりこにしました。1930年代にアメリカで大スターと言われるには二つの条件がありました。ひとつはオスカー賞をとること、そしてもう一つはデューセンバーグを手に入れることでした。クラーク・ゲーブルやゲイリー・クーパーをはじめ名だたる映画スターがデューセンバーグのオーナーとなりました。また、世界各国の王侯貴族にもひっぱりだこでした。展示車のモデルJは後部座席用にも風除けのガラスを持つデュアルカウルスタイルのフェートンで、数あるバリエーションのなかでも有名なモデルです。モデルJは一番安いものでもフォードモデルTを50台以上買える値段だったと言われることからも庶民にはまさに高嶺の花であったことがわかります』(トヨタ博物館)

 『デューセンバーグは、1920年代から’30年代にかけて活躍し、アメリカンドリームの象徴として大衆の憧憬の的となったカリスマ的高級ツーリングカー。もともと同社はドイツ系アメリカ人のデューセンバーグ兄弟が20世紀初頭に創立、第一次大戦前からインディアナポリス500マイルなどのビッグレースに参戦、総合優勝を獲得するなど大きな成功を収めていた。’27年にはのちにコードを創立するイリット・ロッバン・コードにより買収され、かつてのスポーツイメージを生かした超豪華ツーリングカーを少量生産、極めて高価なプライスで販売した。ブリックヤードから社交界へと舞台を移した“デューシー”だが、Jモデルのパワーユニットは贅沢にもDOHCヘッドが与えられた7リッター級のストレート8で、さらにスーパーチャージャーの与えられたモデルでは265PSという、この時期のロードカーとしては世界最大級のパワーが与えられた。一方、極めて派手で華美なエクステリア/インテリアも与えられ、伝統的上流階級のエスタブリッシュメントよりも、どちらかといえばハリウッドスターなどのニューリッチ層からの寵愛を受けた』(GAXOO)

デューセンバーグの中古車をお探しの方へ

 デューセンバーグの中古車をお探しの方がグーネットやカーセンサーで探すことなどないとは思います。ただ、ジーライオンミュージアムのように自動車博物館を運営している会社がその所蔵車両と同等の車両をグーネットやカーセンサーで大量に販売していたりもするので、念のために確認したほうが良いとは思います。

 2017年4時点では、海外の中古車サイトでレプリカも含めて5台ほどデューセンバーグが売り出されていました。レプリカではない1933年式”Duesenberg J Franay Sunroof Berline”に付けられた値段は、1,100,000米国ドル、つまり1億2千万円です。レプリカでも3千万円近くしていますので、これくらいが相場なのでしょう。


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2016
2
Oct

【デューセンバーグ・モデルJを見に行こう!】

はじめに

 デューセンバーグの1929年式モデルJです。私がこれまで足を運んだ自動車博物館の中で、デューセンバーグが展示されていたのはトヨタ博物館だけです。

 そして、このモデルJはデューセンバーグの代名詞とも言える1台で、1920年代にして265馬力という高出力を誇りました。電子制御で固めた現在の車と違い、横滑り装置などない時代です。そんな時代にライバル車の倍のパワーで登場したこの車はさぞかし衝撃的だったことでしょう。

 1920年代の車両が展示されてあるとつい、この265馬力を上回る車両があるかを探してしまいます。

シャシーのみの販売

 このモデルJはシャシーのみで売り出され、当時の販売価格は8500ドルでした。広告で使われたキャッチコピーは”The World’s Finest Motor Car(世界最良の車)”となっており、パワーがあるからそれに比例してシャシーも屈強、それゆえに安全であり耐久性も抜群でその他あらゆる点で他車より優れている、と謳っています。

 また、架装されるボディも名声を求める人々にふさわしいものとなっており、私がこれまで見てきたこの年代の車で、たとえばフロントバンパーに2本のブレードが備わり、流れるような優雅な意匠が凝らされている車は、このデューセンバーグ以外にとっさに思い出せません。

 ちなみに、エンブレムの鷲はアメリカの自由を象徴しており、ボンネットマスコットは翼の飛翔となっています。

博物館による車両説明

 トヨタによるデューセンバーグ・モデルJの説明は次の通りです。

 『モデルJは、アメリカ最高の多くのコーチビルダーがボディを架装。この時代の豪華サルーンに一歩もひけをとらないし、性能においてもはるかに抜きん出ていた。レーシングカーなみのそのパワーは、腕に自信のないドライバーではおさえつけることができないほどの強靱なパワーで人々を圧倒したのである。2カウルの独特のボディはル・バロン製フェートンで、数あるバリエーションのなかでも有名なモデルである』(トヨタ博物館)

 『アメリカの自動車史において別格の人気を誇るのがデューセンバーグです。当時の水準をはるかに上回るエンジン性能と、アメリカ最高の車体メーカーによる美しいボディの組み合わせの超高性能豪華者で値段も飛びぬけて高いクルマでした。それはとくにアメリカンドリームを実現した人々をとりこにしました。1930年代にアメリカで大スターと言われるには二つの条件がありました。ひとつはオスカー賞をとること、そしてもう一つはデューセンバーグを手に入れることでした。クラーク・ゲーブルやゲイリー・クーパーをはじめ名だたる映画スターがデューセンバーグのオーナーとなりました。また、世界各国の王侯貴族にもひっぱりだこでした。展示車のモデルJは後部座席用にも風除けのガラスを持つデュアルカウルスタイルのフェートンで、数あるバリエーションのなかでも有名なモデルです。モデルJは一番安いものでもフォードモデルTを50台以上買える値段だったと言われることからも庶民にはまさに高嶺の花であったことがわかります』(トヨタ博物館)

 『デューセンバーグは、1920年代から’30年代にかけて活躍し、アメリカンドリームの象徴として大衆の憧憬の的となったカリスマ的高級ツーリングカー。もともと同社はドイツ系アメリカ人のデューセンバーグ兄弟が20世紀初頭に創立、第一次大戦前からインディアナポリス500マイルなどのビッグレースに参戦、総合優勝を獲得するなど大きな成功を収めていた。’27年にはのちにコードを創立するイリット・ロッバン・コードにより買収され、かつてのスポーツイメージを生かした超豪華ツーリングカーを少量生産、極めて高価なプライスで販売した。ブリックヤードから社交界へと舞台を移した“デューシー”だが、Jモデルのパワーユニットは贅沢にもDOHCヘッドが与えられた7リッター級のストレート8で、さらにスーパーチャージャーの与えられたモデルでは265PSという、この時期のロードカーとしては世界最大級のパワーが与えられた。一方、極めて派手で華美なエクステリア/インテリアも与えられ、伝統的上流階級のエスタブリッシュメントよりも、どちらかといえばハリウッドスターなどのニューリッチ層からの寵愛を受けた』(GAXOO)

デューセンバーグの中古車をお探しの方へ

 デューセンバーグの中古車をお探しの方がグーネットやカーセンサーで探すことなどないとは思います。ただ、ジーライオンミュージアムのように自動車博物館を運営している会社がその所蔵車両と同等の車両をグーネットやカーセンサーで大量に販売していたりもするので、念のために確認したほうが良いとは思います。

 2017年4時点では、海外の中古車サイトでレプリカも含めて5台ほどデューセンバーグが売り出されていました。レプリカではない1933年式”Duesenberg J Franay Sunroof Berline”に付けられた値段は、1,100,000米国ドル、つまり1億2千万円です。レプリカでも3千万円近くしていますので、これくらいが相場なのでしょう。


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